気まぐれ日記 2014年7月

2014年6月ここ

7月1日(火)「意味ある上京・・・の風さん」
 先週に続いてまた上京である。ややスケジュールは密だが、今回も割安のこだまのグリーンを利用する。
 最寄りの駅を通勤・通学時間帯に出発したが、幸い、座ることができた。
 昨夜は、就寝する前に、気まぐれ日記をアップしておこうとした。6月最後の日だったからだ。ところが、思わぬトラブルに見舞われた。なぜか最も大事なトップページのアップロードができないのである。
 さんざん調べた挙句、トップページのアクセス権限が無効になっていることが判明した。それを修正して、何とかホームページを見られるようにできた。
 しかし、あわよくば午前零時前に就寝しようとしたのが、早、午前1時半になっていた。
 寝不足だったが、せっぱつまっていたので、こだま車中で遅れていた執筆に専念した。ただし、電源コンセントがなかったので、目標の8割でストップした。ディスプレイ輝度を半減していたら、目標の量をこなせたかもしれないが、後の祭りだった。
 久しぶりに某出版社の編集者と会って、ランチをとりながら歓談した。やや年上の編集者とは人生の道程が重なっていることもあって、かなり深いところで共感しながら話ができた。
 それから、こちらも久しぶりだが、ギャラリーオキュルスへ行き、オーナーに長い間の無沙汰を詫びた。
 退社して新たな人生を歩み始めている私にとって、今回の上京は、特別な意味がある。
 ホテルにチェックインしてから、豊洲にある経営コンサルタントのマンションを訪ねた。
 8月にセミナーのお手伝いをするので、その打ち合わせが目的だったが、50階をこえる高層マンションの奥深くに入ったのは生まれて初めてだった。すべてが驚きの連続で、作家稼業もしていて、ビジネススクールまで経験していたにもかかわらず、あらためて自分が一人の庶民に過ぎなかったことを確認した。
 経営コンサルタントからは、これからの私は、顧客からは立派な経営コンサルタントとして見られるのだ、と説明されて衝撃を受けた。私はあくまでも作家であり、セミナー講師のような仕事も、単なるお手伝いに過ぎないと思っていたからだ。
 夕食を誘われたが、約束があるからと断って、私は銀座へ向かった。
 そして、これまた10年ぶりくらいに友人と会って食事し、その友人を連れて、先週初めて訪れた高校時代の同級生の店へ行った。
 今夜も、午後11時で失礼して、ホテルへ戻った。

7月2日(水)「意味ある上京2日目・・・の風さん」
 ホテルをチェックアウトしてから電車を乗り継いでJMA本部へ向かった。
 朝から快晴で暑い1日になりそうだった。
 午前中、秋以降の新しいセミナーの企画に基づいて意見交換した。私が最近思っていることを先に述べたところ、相手の企画とよく一致したそうで、話はとんとん拍子に進んだ。
 大きな方向付けは完了した。
 昼食後、『工場長の教材』のPR講演となった。名古屋に続けて、間をおいて2回目だったが、研修担当者が多かった名古屋と異なり、聴講者は工場長クラスがほとんどだった。こうなると、講演の狙いは、ぜひテキストを購入してお帰りください、になってしまう。話し方もそうなる。
 執筆陣3人がPRをして、無事に講演は終了した。今回も、後日お話をしてもらうために別途相談したいという方がみえた。
 先輩経営コンサルタントが言うように、相手は私を専門家と見ているようだ。ありがたい話だが、身が引き締まる。
 講演をした執筆陣3人で飲み会に出かけた。
 先輩経営コンサルタントがお勧めの、築地市場の中にある居酒屋だった。
 本当に、早朝競りがおこなわれるコンクリート打ちっぱなしの床を踏みしめて行った先に、その居酒屋があった。
 時間とともに満席になった。
 今夜中に大阪へ帰る仲間と一緒にタクシーに乗り、先輩と私は銀座で先に降りた。
 ここでも先輩が勧めるクラブに案内されたが、笑顔の素敵なママさんの下で知的な会話をこなせるホステスがそろった店(桃李という)で、非常に楽しかった。
 つい浮かれた私は、先輩を、これまた10年ぶりくらいになる貴族へ案内した。短時間で十分話はできなかったが、私が何か人生の節目を越えたらしいことはママさんに伝わっただろう。
 今夜は、先輩の豊洲のマンションのゲストルーム(有料)に宿泊させてもらった。

7月3日(木)「やっと帰宅したらまたIT不調・・・の風さん」
 先輩の部屋で朝食を食べさせてもらってから、二人でバスで東京駅へ向かった。
 通勤・通学時間帯からはやや遅い時間帯だった。
 先輩は先に名古屋へ向かい(今日も『工場長の教材』PR講演がある)、私はやや遅いこだまのグリーンで名古屋へ向かった。
 寝不足ともしかすると二日酔い(?)で、私はぐったりしていて、車中はほとんど寝ていた。
 帰りの車中でも執筆する予定だったが、不覚にもそのための体力を残せなかったのだ。
 しかし、ずいぶん時間と体力とお金を使った2泊3日の東京だったが、これからのやや特殊な人生を踏み出すけじめになった気がした。
 途中から天候が悪くなり、名古屋では小雨が降っていた。
 すぐに地下鉄で本山キャンパスへ向かい、近くの食堂で昼食を摂ってから、やや早く講義の準備をした。
 帰るころには雨が強くなっていた。
 2日ぶりに帰宅し、疲れていたことや、偶然テレビでSASUKEをやっていたことなどから、今夜はゆっくりすることにした。
 ところが、就寝前に書斎のパソコンで仕事をしようとしたら、インターネットにつながらない。
 階下のサンルームに行ってルーターやWiFi機器を点検したが、どこに問題があるのか分からなかった。
 ITの執筆環境の不調が最近よく起きる。不思議だ。
 原因究明と対策は明日にして、今夜は早目に寝ることにした。

7月4日(金)「癒しの風・・・の風さん」
 起きてから1時間くらいかけてインターネットにつながらない原因を調査した。その結果、WiFi機器に問題があることまで特定できた。
 今日はあらかじめ決めていたことがあったので、ワイフとアクアで出かけた(予定より1時間遅れ)。
 カリチューに行き、アクアの12ヶ月点検や修理などを頼んだ。
 当初、夕方受け取って帰る予定だったが、預けてじっくり処置してもらうことにした。
 市内の某所へ行き、韓国料理でランチにし、久しぶりに映画を観ることにした。
 出演者の顔ぶれから「ノア」にした。
 キリスト教の教えと人間の煩悩の葛藤がテーマの作品だった。ここでは動物の世界を「善」だとしていたが、人間もそれと同じ行動をするようになったら、強い者が弱い者を殺して食っても良いことになる。しょせん「善」と「悪」も人間が勝手に決めていることだ。
 ストーリー作りのテクニックだが、前半でラッセル・クロウが女の子に歌を歌ってやるシーンは違和感があり、明らかに伏線となっていた。小説では不自然さはすぐにばれる(映画などでは役者の演技力で納得させられてしまうだけ)。
 このときの歌が重要な小道具になっていて、テーマ曲でもあった。
 最初にラッセル・クロウが歌ったとき、その歌詞の素晴らしさに感動したが、その中に「癒しの風(heeling wind)」というのがあり、父親としての理想の象徴となっていたが。風にたとえた点が、鳴海風には非常に胸に響いた。

7月5日(土)「ネット環境復元で消耗?・・・の風さん」
 午前中、執筆の続き……というか、車中でやる予定の仕事の続きをした。
 昼食後、大型家電量販店へ出かけた。購入するWiFi機器の選定は終わっている。ネットなら格安で購入できるが、届くのは明日だろう。今日欲しいのだから、多少高くても仕方ない。
 ずらりと並ぶルーター類の中にそれはあった。ネットより800円くらい高かった。他の機種にも購買欲がそそられたが、今回はベスト商品を買うのが目的ではない。最も早くネット環境を復元できる機種(現状機器の進化版)でなければならないのだ。
 購入後、ついでにエアコン売り場へ行って、情報入手をしてから家路についた。
 週末なので、道路の混雑を避けたルートを通って往復した。
 帰宅して、休憩をたっぷりとってから、ネット環境の再構築に取り組んだ。
 サンルームの共用パソコンは有線接続となった。自分のスマホはQRコードを利用してセットした。拙宅は電波環境が悪いので、非常に改善された。続けてiPadminiだが、これにはスマホ機能がないので、環境設定は違う方式になる。
 書斎からノートPCを2台持ってきた。MacbookAirとXpである。それぞれのやり方で完了した。
 ここまででだいぶ慣れてきたので、いよいよ本丸である。
 書斎のPCは、Windows8である。内臓無線LANはない。外付けである。しかし、無事に終了。
 そして、いよいよラストが、プリンターである。最近、不調を繰り返していた無線接続機器だったので、設定はできるだろうが、その後の調子が気になるところである。とりあえず設定をし、印刷やスキャナー読み込みができることを確認した。
 夕食の時間まで、たまっていた仕事を次々に処理していったが、ホームページビルダーの不具合は以前と変わらず、ネット環境とは関係ないことが分かった。暫定処置で、気まぐれ日記をアップした。
 こんな他愛のないことで体力消耗してしまったのだろうか。
 夕食後、また執筆の続きを始めたが、途中でダウンしてしまった。

7月6日(日)「岡崎空襲体験記・・・の風さん」
 目が覚めたら午前5時ころだった。もちろん場所は書斎の床の上。いつになったら連続してまともな生活を送れるようになるのだろう。
 今日はワイフの企画でサンルームでパワーストーン教室が開催された。専門の先生に来てもらい、参加者はワイフの友人ばかり。人数が多く、午前と午後の2回開催された。
 私は邪魔者なので、昼食用のパンを抱えて2階へ避難した。
 結局、また書斎の床の上で、たっぷりシエスタをとることになったので、相当に疲労が残っていたか、あるいは、もう余命いくばくもない状態なのかのどちらかだろう。前者であってほしい。
 我が家の2匹の猫も見知らぬ人が近くまでやってきたので、右往左往していたようだ。
 ワイフも今日はかなり体力を消耗した様子で、晩御飯は格安中華料理店へ行くことにしたが、雨の中、キャメロンで直行すると駐車場がいっぱいだった。観光客だけでなく、地元の客がたくさん来ていたに違いない。出直すことにした。
 1時間後に再び行ってみると、客は減っていたが、地元の団体がいて、騒音公害をまき散らしていた。
 ワイフの父が空襲時の体験を語った原稿が収録された本が出版されて送られてきた。
 貴重な歴史資料である。当時の愛知県岡崎市の地図なども入っている。
 日本の内地の戦争資料であり、終戦近くなって民間人が無差別爆撃を受けた記録だが、アメリカやアメリカ人を恨んでいるような文章はほとんどない。こういった感覚は、他国の人には理解しにくいだろう。
 適切な表現はよく考えないといけないが、罪を憎んで人を憎まずというのか。
 日本のモノづくりにも似たことがある。不良や設備不具合の発生があったとき、その原因を個人には求めない。なぜを5回繰り返して真因に迫る。そして、再発防止を最優先に考えるのである。
 義父の原稿が載った本は、岡崎空襲を記録する会編『岡崎空襲体験記 第四集総集編』である。自費出版に近いので、見かけた方は購入していただきたい。読後は、図書館に寄贈してほしい。

7月7日(月)「怒涛の1日か・・・の風さん」
 点検の終わったワイフのアクアを受け取りに、朝から出かけた。今日も平日なんだよなあ。でも、もうすっかり自由人。
 帰りに役所とJAに寄ってから帰宅した。午前中だけでけっこう仕事した気になった(甘い)。
 インスタントラーメンを食べてから、久しぶりにキャメロンの給油をしてきた。
 帰宅し、少し仕事してからシエスタ。その間に長女が帰省してきたのだが、よく分からない。
 晩御飯は近所のトンカツ屋に行くことになり、3人で出かけた。帰宅してから、長女の手製のチーズケーキを食べた。プロの作るケーキは極上である。やや遅くなった父の日プレゼントとのこと。
 明朝の早い長女を名古屋までアクアで送った。電車と地下鉄を乗り継いで行くより断然早く着く。
 帰宅したら、今度は次女の迎えかと思っていたら、とんでもないことが起きた。次女の乗ろうとしていた名鉄の路線で人身事故が起きたため足止めを食っているというメールが入った。既に名古屋高速をだいぶ走った後だったので、足止めを食っている次女を拾いに行くことはためらわれた。
 帰宅すると、名鉄を諦めてJRで近くまで向かうというメールである。続けて、そのJRがいっぱいで乗り継ぎができなかっという。このままいくと終電に近い列車(最後の路線は電化されていない)にぎゅうぎゅう詰めにされて帰ってきそうだ。
 ワイフと途中まで迎えに行くことにしてまたアクアで出動した。既に午後11時を回っている。
 こうして次女をピックアップしてやっと帰宅したのは、午前零時過ぎだった。
 シエスタの効果で、ここまで頑張れたので、今日は「よし」としよう……いや、待て、まだ不十分だ。
 昨夜に続いて、英語に慣れるため、1時間あまりFT(Financial Times)とVOA(Voice Of America)をネットで聴いた。さっぱり分からなかった。その後、ベッドで吉村昭さんの『羆嵐』を読了した。
 今日は、辻真先先生の近刊『未来S高校航時部レポート』(講談社)が届いた。かなりの力作で若輩者の私は感服した。

7月8日(火)「専念しても仕事ははかどらない・・・の風さん」
 昨日は仕方なかったとして、今日はじっくりと腰を据えて仕事をしなければならない。
 いつものようにマイペースで(つまりのろのろと)しかし着実に仕事をこなしていった。
 こうして、ついに夕食前に(と言っても午後8時ころ)『ラランデの星』の2度目の短縮作業を終えた。3度目は特に量の多い節だけ短縮かあるいは分散に取り組んで、来週明けには、それを出版社へ届けようと思う。
 夕食後、今日予定していた残り2つの仕事に取り組んだ。
 さすがに疲労が蓄積していて、少し横になって休んでも元気は戻らなかった。
 仕方ないので、明日取り組むために少しだけ準備作業をしておくことにした。
 今夜もFTとVOAをネットで聴いたが、昨夜以上によく分からなかった。
 私の頭には正しい日本語の体系が岩石のように詰まっているので、異国の言葉は容易に受け入れられないのかもしれない。
 就寝前に読みかけの本を2冊読んだ。
 消灯するころ、時計は午前3時近くを示していた。

7月9日(水)「気になる台風の動き・・・の風さん」
 いつもより1時間ほど遅く起床した。
 台風8号が九州に接近している。伊勢湾台風並みとのことだ。この台風の恐ろしいのは、まだ梅雨の真っ最中ということで、梅雨前線を刺激していることだ。台風そのものの位置はもちろんのこと、発達した雨雲の動きにも注意しなければならない。
 それが今、東北地方を横断する形で広く横たわっている。猛烈な雨量である。
 当地は、そのはざまにあって、どんよりした曇り空で、ときおり雨が落ちて来る程度。湿度の高さに不快感を感じている程度である。
 もしかすると明日はかなり悪天候になるかもしれないと思い、外出しておくことにした。
 昼食後、一昨日に続いて役所へ行き、取って返して、近所で買い物をした。明後日持って行くお土産である。
 大急ぎで帰宅したが、その間にワイフが買い物に出かけた。当分帰ってこないだろう。出歩くのが好きな人だ。私は猫と留守番……じゃなかった、仕事の続き。
 深夜になっても仕事がはかばかしく進まなかった。
 いったん書斎でダウンし、真夜中に目覚めて入浴し、また仕事の続きをした。

7月10日(木)「サイダーが当選!・・・の風さん」
 外が明るくなってきたころまた寝て、いつもと同じころに起きた。とても退社して毎日が日曜日の人の生活じゃない。
 朝食後も講義の準備をした。結局、昨日の夕飯後、起きては寝て、また寝ては起きながら、していたことは講義の準備ばかりだった。なんと効率の悪いこと!
 窓から外を眺めると、台風が接近しているのが明白な強い風雨になっている。
 またインスタントラーメンで昼食にし、キャメロンで出発した。
 本山キャンパスへキャメロンで行くのは久しぶりだが、体力不足がはっきりしているので、あまり楽しいドライブとはいえない。おまけに風雨が強いのでいつもより慎重に走る。
 リラックスした講義を終えて、ドリップコーヒーを飲んでから家路についた。
 風雨はまだほとんど変わらない。早く過ぎ去ってほしい。
 帰宅したら、大きな荷物が食卓にのっていた。JAで七夕飾りにつけた短冊が当選したのだそうだ。やったー! 商品は大量のサイダー。ちっちゃいころから飲んでいた清涼飲料水なので懐かしいし嬉しい(私の場合、ラムネはずっと後である)。
 夕食後、乏しくなった名刺を印刷して補充した。現状の名刺に似せて作った。この週末に必要なのだ。
 そうこうしているうちに夜が更けてきたので、やはり作家の仕事は往復の新幹線の中でやることにして寝た。
 ここ数日の効率の悪さに我ながら幻滅。

7月11日(金)「台風8号が去った後の東京・・・の風さん」
 目覚ましで6時起床。実際はアラームが鳴る少し前に目が覚めた。
 やり残した仕事をたくさん抱えての上京である。台風は速度を増して東へ去ったので助かったが、何となく気が重い。
 ワイフにもよりの駅まで送ってもらったが、名古屋まで座れなかった。通勤・通学時間帯である。
 名古屋駅でパンと飲み物を買って、こだま号に乗車した。
 コンセントがないので、ディスプレイの輝度を半減させてバッテリを節約することにした。
 読み切れなかった原稿を読んでいったが、移動中のパソコン作業は決して健康的ではない。東京まで効率の悪い作業を続けた。
 二人の編集者と待ち合わせたコーヒーショップに予定より少し早く着いた。既に二人が来ていて、軽く食事をしていたようだ。
 そこから徒歩10分で最初の目的地、セイコーミュージアムに着いた。私にとっては2度目だが、スカイツリーができるだいぶ前のことなので、かなり記憶は薄れている。
 何度もお世話になっている学芸員のような立場の方に、1時間20分ぐらいしっかり案内してもらった。特に和時計は実際に動かしてくれたし、公開していない倉庫(しかし、完璧に空調していた)へも入れてもらい、勉強になった。暦と時計の関係について、西洋と対比した新たな視点を得ることができた。
 編集者一人は会議のために社へ帰ったが、もう一人と根津にある大名時計博物館へ向かった。
 ところが、私の勘違いで、そこは休館していた。出て来た管理人に尋ねると、梅雨から夏にかけては湿度が高いため、展示室の人の出入りをやめているのだという。なるほど。
 編集者と別れて、千葉県のユーカリが丘へ向かった。
 今夜から明日にかけて姓名判断の南山誠林さんと会う約束だった。
 ホテルにチェックインしてシャワーを浴びている間に、早くも南山誠林さんがロビーにやって来た。
 オフィスを兼ねている自宅へ行き、その後、近くのレストランに行ったのだが、会食は5人に増えた。
 酔っぱらった勢いで、また言いたい放題をやってしまった。これから先が思いやられる。
 ホテルに戻ったが、仕事をする元気はもうなかった。

7月12日(土)「千葉から帰宅・・・の風さん」
 熟睡できないでいるうちに事件が起きた。午前4時22分にケータイが地震予知警報を発したのだ。例のキュッキュッという緊迫したアラーム音である。最初は目覚ましかと思ったが、2011年に何度も聞いた音だった。
 1分後に揺れがやってきて、7階の客室がしばらく水平方向に振動した。揺れが大きくなったらどうしようと恐怖感があったが、震度3程度だった。
 7時40分にユーカリが丘駅で南山誠林さんと落ち合ったが、今朝程度の地震は毎月あるから慣れているとのこと。
 佐倉城下町を散策しながら案内してもらった。なるべく日差しを避けて歩いたが暑かった。堀田正睦の像は印象的だった。
 途中でホテルに戻るつもりだったが、そんな余裕はなくなったので、ホテルに電話して荷物を出しておいてもらうようにお願いした。わがままな客だと思われたかもしれない。
 何度も見学しているという歴史民俗博物館内も案内してもらった。ボランティアの人がつめている寺子屋では、算木算盤の紹介をしていて、歓談できた。ボランティアの方は元化学系の仕事をしておられたそうだ。日本には優秀な技術者がたくさんいるが、どんどん現役を退いている。後継者がちゃんと確保されているのか心配だ。やはり私のセミナー講師という仕事は、やるべき価値あるミッションなのかもしれない。
 古代カレーで昼食を摂り、昨日の二人の編集者と合流して、午後からの「暦」の講演を聴講した。
 民俗学的な視点での解説だったので、技術屋の私にはしっくりこない部分もあったが、興味深い話で勉強になった。
 帰りの新幹線を1時間遅らせて、ミュージアムショップを眺めてから博物館を後にした。
 ホテルで荷物を受け取って、電車で家路についたが、乗り換えがスムーズにいって、東京駅には予想より早く着いた。
 帰宅したのは博物館を出発して5時間あまりたったころだった。
 新幹線の中でも居眠りせずにパソコンをいじっていたが、仕事は遅れに遅れていて、憂鬱になった。

7月13日(日)「次の大河ドラマか?・・・の風さん」
 昨夜帰宅して驚いたことがあった。楠木誠一郎さんの新刊である。
 人気シリーズの最新作だとは思うが、タイトルにショックを受けた。『私立霊界高校』だという。
 つい先日、新鷹会の辻真先先生から頂戴した本のタイトルが『未来S高校』だった。辻先生の場合は、年齢関係なくこういったジャンルの作品をものにできる頭脳の若さに感服したのだが、楠木さんの新作のタイトルを見て「これって、売れ筋?」と思ったのだ。もっと極端な表現をするなら「来年の大河ドラマの次はこれ?」てな感じ(笑)。
 どちらも同じ講談社だということは、戦略的な出版なのだろう。そして……。
 ハリーポッターは永遠のテーマかもしれない。
 さあ、今日から執筆に専念、と思って書斎に入ったが、まもなく深い睡眠の海に沈没してしまった。
 目が覚めたらもう午後2時。
 ランチは中止して、パソコンに向かった。
 メールチェックしたら、またショッキングなことがあった。
 土曜日の早朝に講演をするのだが、急いでスライドの構成を考えて、レジュメやプロフィールも作成することになった。
 構想はできていたので、作業は早いかなと思ったが、通常90分でおこなう講演を60分にコンパクトにまとめることが最大の障害となった。老人の悪い癖で話が長い。したがって、スライドもついつい多くなる。自分では面白いと思うデータや、脇道にそれたスライドを泣く泣く外すのに手間取った。
 夕方からは次女のドイツ留学について、ワイフと議論することがあって、講演の準備作業は中断した。
 結局、入浴もパスして作業を続けたのだが、どんどん効率が落ちる中、やっと事務局へレジュメなどをメール送信できたのは、外が明るくなってきた午前4時半近かった。

7月14日(月)「ドイツの優勝の陰で・・・の風さん」
 午前9時ころ起き出して、久しぶりに湯船に浸かった。達成感はあまりない。なぜなら、こんなに時間がかかるとは予想もしていなかったからだ。
 予定していたことができなかったショックは大きかったが、挽回しなければ。
 サッカーのワールドカップはドイツが優勝した。比較的平均年齢の低いチームだから、試合をしながら成長したのだろう。
 24年ぶりの優勝だという。1990年のイタリア大会(6月8日〜7月8日)で、そのときは西ドイツだった。わたしは、その瞬間、2度目のドイツ出張で滞在先のホテルに同僚といた。テレビの前のドイツ国民と握手して優勝を祝った。
 ベルリンの壁が崩壊したのは前年の11月9日だった。その1ヶ月くらい前にもわたしは初めてのドイツ出張でドイツにいた。もちろん西ドイツ。ベルリンの壁が崩壊する前に、東ドイツから西ドイツへ人の移動が激しさを増していた。そんなときだった。
 あれから四半世紀である。
 世界で最も好印象の国としてドイツと日本は肩を並べている。何か民族的な共通性があるのではないだろうか。
 昼食後、書斎で体調がおかしくなった。横になったが治らない。ますます気分が悪くなった。
 天井が大きく回転してまともに歩けなくなった。
 これは一大事だと思って、やっとのことで頭痛薬を飲んで、寝室のベッドに倒れ込んだ。
 いつものダウンだと思ったワイフがわたしの異常に気が付いたのは夜遅くだった。

7月15日(火)「徐々に復活・・・の風さん」
 ひたすら睡眠と休養に心がけて夜が明けた。
 今日は午前中にどうしても出かけたいところがあった。
 昨日は吐き気を催すほどめまいがひどくてトイレに行くのも難儀だったが、今朝は何とか歩くことができる。
 わたしの身を心配したワイフが、午前中の用事をキャンセルして、わたしを送り迎えしてくれた。
 帰宅してまたベッドへ逆戻りした。
 ワイフは午後出かけ、次女も出かけて行った。わたしは一人でまた睡眠と休養をとることに専念した。
 しかし、たまっている仕事がどんどん遅れていくのは、どうにもやりきれない。
 夕方、何とか起き出して、やれることをやろうとPCへ向かったら、会社からメールが飛び込んできた。まるで待ち構えていたようなタイミングだった。それにすぐ反応してしまうわたしも愚かとしか言えなかった。
 とりあえず最も楽そうな木曜日の講義の準備をすることにした。
 ワイフが帰宅して、普通に夕食を摂ることができた。
 その勢いで、土曜日の午後の講演の準備をしてしまおうと取り組んだが、8割程度までしかできなかった。

7月16日(水)「復活ののろしが少し上がる・・・の風さん」
 昨日よりは気持ちよく起床できたが、油断はできない。
 外は快晴である。梅雨は明けたのだろうか。子供の頃からあまり外出しないタイプだったので(引き籠りに近かった)、天気が好くてもそわそわすることはない。
 気温がぐんぐん上がりそうだったので、冷房を効かした書斎で、マイペースで仕事するしかない。
 土曜日の午後の講演の準備は昼食後も続いた。講演時間は90分あっても、話したいスライドは非常に多くなってしまう。年寄りの悪い癖だと思って、焦点から遠いものや脱線話のスライドを外していった。
 何とか仕事を続けていられるようになったので、電子メールを出す気力が出てきた。今後のスケジュールに関係する話なので、早目に出したかったのだが、しばらくできなかった。
 レスポンスがあって、スケジュールが徐々に明確になっていった。
 わざわざ電話してくれた人もいて、一発で解決したスケジュールもあった。メールでは誤解があったり何度もやりとりすることになるのはよくあることだ。
 続いて、20日締め切りのビジネス課題にようやく取り組んだ。これは初めての講演スライドを作成するもので、よく考えることと何らかのアイデアが必要である。
 夕食前まで頭を絞ってみたが、これはやはり難物だった。おまけに、めまいまで再発してきた。即ストップ。
 夕食後は、執筆中の原稿の一つで、先週末、新幹線車中でも考えていたものである。
 疲れてきたが、無理やり、データを埋める作業をしてみた。

7月17日(木)「梅雨明け近し・・・の風さん」
 午前中、元気なうちに今日の講義と明後日の講演の準備の残りをやった。
 昼食後、キャメロンで本山へ出発した。ゆっくり走るために5分早く家を出た。
 日差しが強く、キャメロンの室内はどんどん気温が上昇していった。英会話を聴いていたが、すぐに暑さでつらくなった。
 講師控室で事務の人と体調不良について話していたら、めまいは頚椎症が原因かもしれないと言われ、整体師を紹介された。今後悪化していくようなことがあったら、整体師もオプションの一つとなる。
 今日は前期の最終講義で、わたしの学位論文の内容を題材にして、最後のまとめとした。
 よく考えてみると、私の研究は、前期の授業の高等版だった。卒業して4年目にしてようやくそのことに気が付いた。
 講義の終わりごろ、突然の雷雨となったが、じきに止んだ。梅雨明けは近そうだ。
 帰りにガソリンスタンドでキャメロンを自動水洗いしたが、カーポートの草木から落下した種子類が日光で焼けてついた染みがたくさん残っていた。今日から駐車はしばらくカーポートを止めることにした。
 夕食後、久しぶりに文庫用書き直し原稿に取り組んだ。何とか完成させて、来週明けに届けるつもりだ。

7月18日(金)「次女のサマースクール・・・の風さん」
 8月のセミナーでおこなう基調講演の骨子について、なかなかアイデアというかモチベーションを高めるためのひらめきが得られず苦労していた。
 そこで、昼食後、そのヒントを得るために、読書しようとある大学の先生の本を抱えて、家の中をウロウロした。
 リビングのソファの猫の指定席の横が居心地がよいので(当然か)、そこで読み始めたら、時期に居眠りしてしまった。
 寝不足では決してないのだが、衰えた心身にはこまめな睡眠をともなう休養が必要らしい。
 目覚めたらまだ夕食時間にはほど遠かったので、また読み始めた。
 すると、読みながら次々に思考が前進した。そして、これだ、と確信できる論理展開が思いついたので、新聞折り込み広告の裏にボールペンですばやくメモした。脳みその中のメモリーの信頼性は乏しいが、紙の上に残せば安心だ。
 今夜の最後の仕事は執筆の続き、と思って2階に行きかけたところで、次女が帰宅した。
 ドイツ留学に関する資料をいくつか見せてくれた。主に現地で最初に受けるドイツ語研修のサマースクールの資料だった。さすがビジネスだけあって、オプショナルツアーまであった(カヌーを操って渓流下りというのに申し込んでいた)。
 だんだん気分が盛り上がってきた(親の気分が盛り上がってどうする?)。
 すべてコピーをとって、ビールを飲みながら内容を点検した。授業料は大学負担というのが助かる。それ以外にかかる費用は色々あるが、食費などは現地で友達になった人たちと工夫しながらやりくりするのだろう。うーん、私も行きたい(笑)。

7月19日(土)「初めての1日に2つの講演・・・の風さん」
 昨夜は早寝する予定だったが、次女の資料を読むためにビールまで飲んでしまったため、簡単に寝付かれなかった。
 とは言え、今日は目覚ましで午前4時半起床。天気は曇り。
 5時半にキャメロンで名古屋へ向かった。最初の講演のためである。
 6時過ぎに会場のホテルに着いた。予想外に私が一番乗りで、ホテルの係員の案内で講演をおこなう部屋へ行き、カギを開けて中へ入った。早速パソコンなどの準備をし、自動販売機でコーヒーを買ってきて飲んだりもした。
 講演はきっちり7時から始まった。聴講者を想定して準備してあったので、落ち着いて講演できたが、問題は60分におさまるかどうかだった。通常よりもずいぶんスライド枚数を減らしたが、駄目だった。15分もオーバーしてしまった。
 最後に、持参した販売用の本の説明をして机の上に並べたら、義父が貢献した岡崎空襲記録の本が真っ先に売れた。そういった聴講者の方たちなのである。講演したのは、『星空に魅せられた男 間重富』に込めた子供たちへのメッセージと、本づくりの過程で出会った人たちの話(震災直後の原画展含む)だったが、それは間違いなかった。
 段ボール箱一杯の本はすべて引き取ってもらえた。ありがたいことだ。
 その後、ホテルのバイキング朝食を摂って、聴講者の方たちと歓談して会場を後にした。途中から雨になった。
 帰宅して30分休憩後、ワイフを乗せてまたキャメロンで出発した。今日、2つ目の講演のためである。
 岩倉市生涯学習講座も今日が最後の3回目である。
 これまで天文方に関わる話をしてきたが、説明方法が歴史をちょっと変わった視点で紹介するやり方で、今回は特にそれが強烈になるので、最初にそのことを申し上げた。
 効率良く話を進めたつもりだったが、今日も5分ほどオーバーしてしまった。
 しかし、今日は特別に和算書を3冊持参してきて、講演後に直接手に触れて中を見てもらったので、これは私の粗末な講演を補う意味で良かったと思う。
 今朝の7時から講演を聴いてくれた人も2名参加してくれた。
 しっかり休んで、安全運転で家路についたが、来る時より元気になった気がした。
 しかし、夕食後、何もできずダウンした。

7月20日(日)「大きな懸案事項が解決・・・の風さん」
 14日の月曜日に体調不良になった精神的原因の一つは、今日が締め切りのセミナー資料の中間報告である。
 初めての仕事になるので、そもそもどういった資料にするべきか、皆目見当がつかなかった。
 一昨日、大学の先生の本を読んでいて、ようやく「ひらめき」があったので、今日はそれを形にしなければならない。
 しかし、昨日の疲労が抜け切れず、朝から体が重かった。
 たらたらと時間を過ごし、午後になって、体力が戻るのを待ちながら、寝そべってもう一度、頭の中で考えてみた。
 再び、構想が浮かんできたので、寝そべったままメモにしていった。
 夕方になって、どうにか気力・体力が戻ってきたので、執筆マシンに向かった。
 先ず、基調講演の内容の論理展開をメモにした。続いて、その論理展開から考えられるグループディスカッションのワークシートを書いてみた。ワークシートはきわめてシンプルなものである。再び、論理展開メモを点検し、欠点や不足部分を補った。
 2時間あまりの集中した作業で、中間報告書ができたので、リーダーへメールで送った。本当にホッとした。
 夕食後は、出版社へ送る原稿である。幸い明日が祝日なので、明日中に発信することが目標だ。

7月21日(月)海の日「梅雨明け近いぞ・・・の風さん」
 昨夜、2つの出版社へ送る原稿を、少しだったが進展させることができた。
 その勢いで、朝から続きに取り組んだ。
 金曜日は雨が降ったりやんだりの天気だったが、昨日から晴天が続いている。梅雨明けも近い。気分も乗ってきた。
 夕方までに1社分の原稿が完成し、プリントアウトして、他の資料と一緒にレターパックで投函した。明日、データをメールで送れば、およそ1ヶ月遅れだが一段落する。
 夕食後、もう1社分の原稿が完成した。これも中間報告といえばそれまでだが、仕事というものはチームワークなので、常にこちらの状況を相手に伝えなければならない。データをメールで送付した。
 これで今日はおしまいかと思ったが、まだあった。中小企業大学校への郵送資料である。
 今年後半から、新たに2つの仕事が始まる。1つは、かつて担当したことがあるJMAの生産技術マネジメント研究会で、もう1つが、中小企業大学校の講師である。どちらもモノづくり関連の知識と経験を生かして世の中に貢献できる仕事で、特に中小企業の若者の役に立ちたいと思っている。
 亡父は高校の校長を退職してから、いくつかの職についたが、最後は予備校の寮監のような仕事で、若者との交流があったらしい。なんだかんだと言って、私も結局亡父と似た人生を歩んでいるのかもしれない。
 郵送書類が完成したので、就寝前に、VOAとFTの映像ニュースをネットで視聴した。

7月22日(火)「忙しすぎる〜・・・の風さん」
 昨夜作成した郵送書類を投函し、買い物を2件済ませ、重要メールを3通出した。
 1ヶ月後のエクスプレス予約(神戸行き)をした。
 次女に、私がかつてドイツで買った本をあげた。ドイツ人が日本語を話すための本で、ドイツ語の下に日本語の文章がローマ字風に書いてある。ドイツ人と仲良くなるのに使えるだろうと思った。そして、本当に仲良くなったドイツ人にプレゼントして帰ってくれば喜ばれるかもしれないとも思った。
 そろそろ名古屋へ行く時間だと思って階下に降りたら、洗い物はあるは洗濯物は取り込まなければならないはで、時間的にせっぱつまってしまった。
 早足で最寄りの駅に着くと、改札口でManacaカードが出て来ない。そのうち電車がホームに入って来る音が聞こえてきて焦った。階段を駆け上がった。息が切れた。
 名古屋でワイフと長女と待ち合わせ、某ホテルのレストランで食事しながらドイツ旅行の作戦会議をおこなった。二人とも料理に気をとられていて、私の話など真剣に聞いてくれなかった。
 帰宅してからまた2通の重要メールを送信した。
 忙しい1日だった。

7月23日(水)「健康診断・・・の風さん」
 夏本番で寝苦しい夜が続いているはずだが、疲労の方が上回って爆睡しているらしい。
 今日は、午前中、健康診断があるのでキャメロンのナビに目的地をセットして出発した。
 ちゃんと最終目的地を確認せず走り出したので、ナビの指示が信用できず、自分のイメージに従って走った。途中で通勤渋滞に巻き込まれたが、これも自分の直感を信じて迂回して正解だった。
 ギリギリの時間に到着した。
 出がけに水を飲んできたことを申告したらバリウム検査を外されてペプシ(ペプシノーゲン検査の略)と追記された。これは初めてなので、どんな結果が出るか楽しみでもある。
 今回の健康診断の性格上、老人が多かったが、それほど抵抗はなかった。知人と出くわすかと思ったが、それはなかった。いつものように血圧が高く、筋トレに行けない現状からすると、先に病院で診察を受けた方がいいかもしれない。10月にはがんドックを受けるつもりだ。
 ケータイで1ヶ月後のエクスプレス予約(新神戸から東京)ができてホッとした。
 昼前に3月まで勤務していた技術研修所に着いて、昼食を摂ったあと、仕事の打ち合わせをした。
 本社へのメール便も同僚にお願いして出すことができ、懸案事項が着々と処理されていくのを感じた。
 その後、なかなか行けなかった散髪に寄ってから帰宅した。
 景気が回復しているせいだろう、朝も夕も通勤時間帯は渋滞する。

7月24日(木)「名古屋で力の入った打ち合わせ・・・の風さん」
 今日もキャメロンで外出。炎天下、このクルマはなかなかつらい。
 本山キャンパスに駐車して、いったん地下鉄で名駅へ行き、JMAのオフィスで10月の講演の打ち合わせをした。なかなか充実した打ち合わせになってしまい、私はしゃべり過ぎたので、もう講演の必要はなくなったような気がした。ま、そういうわけにもいかないだろうが。
 急いでキャンパスへ戻り、今度は自由ヶ丘キャンパスへ移動。
 田村先生に『工場長の教材』を贈呈し、その後やっと前期の講義の結果報告ができた。
 こちらもJMAでの打ち合わせと同様に力を入れ過ぎたので、午後7時近くなってしまい、後期の講義の相談がほとんどできなかった。
 急いでお暇し、有料道路を使って帰った。通常の半分の時間で帰宅できたが、出費は大きい。
 明日までにやることがあって、今夜中に少しでも、と思ったが、あまりできなかった。
 というのは、新鷹会の古い仲間が急死したという知らせがあったからだ。心臓が原因だったらしいが、まだ66歳である。私もこれ以上無理してはいけないのかもしれない。
 就寝前にVOAとFTを聴いたが、もう時間も遅かったので、いつもの半分、30分でやめた。

7月25日(金)「猛暑日の外出・・・の風さん」
 夏らしい青空が広がって、朝からぐんぐん気温が上昇している。
 午前中に、来月予定している一つの講演のタイトルを考え、もう一つの講演の事前配布資料を作成し、それぞれ事務局へ送信した。
 昼食後、ワイフとワイフのアクアで出かけた。猛暑日はアクアの方がまだ楽だ。
 先ず、ワイフお勧めの喫茶店に行った。ワイフの友達が「死にかけているご主人と行きなさい」と言ったかどうかは定かでないが(笑)、わたしの健康を心配してくれている人たちが多く、とうとうワイフも諦めて、わたしを喫茶店に誘った。安価なのに美味しいコーヒーを出す店で、それを飲みながら、次女を慰問するためのドイツ旅行計画について私が説明した。
 まだ下準備不足だが、次女の出発も近いので、それから旅行代理店に行き、旅行相談をした。
 一番重要な格安航空券について調べてもらったところ、希望するルフトハンザ航空の直行便が火曜も木曜もないことが判明した。これによって旅行計画の見直しが必要になった。わたしは全く問題ないのだが、一緒に行く長女が厳しい判断を迫られることになった。
 そのあと、書斎で使うわたしのチェアを買いに行った。以前から使っていた椅子は、わたしと同様に老いぼれて定年退社前に壊れてしまった。仕方なく、ふだんは家にいない長男や長女の椅子を借りて仕事をしてきたのだが、やはり不便この上ない。
 DIYのショップで手ごろなものを見つけた。レザー張りで内部は低反発構造。だからと言って気持ちよくなってすぐ寝てしまうほど楽ちんではない。値段も普通だった。
 やはり今日は猛暑日になったそうだ(名古屋は38.2度)。
 今夜は就寝前のVOAとFTを合計1時間聴いた。

7月26日(土)「父は勉強、次女は野球・・・の風さん」
 明日が久しぶりのTOEIC受験なので、リスニングテストの練習をした。前もって選択肢を読んでおくと、会話を聴いてもいくらか直感で分かる。半分以上正解できる。
 還暦を過ぎてはたしてどれだけ点数が伸びるか、何となく楽しみだ。
 しかし、ラインゲームの例から推定すると、どこまでも点数が伸びることはない。やはり攻略のためのコツがあるだろうし、もちろん基礎力が必要だ。そして、わたしの場合、右手が不自由なので、マークシートをいかに早く記入するか、それも作戦を立てておかなければならない。
 リスニングの練習をした後で、VOAとFTを聴いたが、何ら進歩はなかった。
 今日は次女が義父(次女にとっては祖父)と一緒に名古屋ドームに行った。中日−巨人戦を見るためだ。
 昨日、0対10で惨敗した巨人は、今日は必死に反撃してくるだろうと思ったが、5対7で逆転負けした。
 次女が好きな森野が逆転の3点二塁打を放ったので、ドイツ留学前の良い思い出になったろう。

7月27日(日)「TOEICの後は冷蔵庫と墓掃除・・・の風さん」
 朝から何となく体が重かった。そろそろ本気で筋トレ復活を考えなければ……。
 人生3回目の(おおげさな)TOEIC受験は、キャメロンで行くことにした。しかし、会場には駐車できないので、某所に駐車させてもらって、そこから地下鉄である。
 途中で強い雨が降ってきた。やがて止んだ。夏らしい天候だ。キャメロンを置いた後も傘は持って行こう。
 会場は南山大学だった。八事日赤で降りて、ちょうどよい機会なので病院に入ってみた。
 大きな病院を訪れるたびに、もしかするとここが自分の終焉の場所になるかも、と思ってしまう。小説家の性(さが)だろう。
 涼しい場所で時間をつぶし、ついでに早目の昼食も摂ってから会場へ向かった。
 多くの若者が列をなして歩いている。目的地は同じだろう。また雨がぽつぽつ降ってきたので折り畳み傘をさした。
 1点でも多くとろうという気はなく、久しぶりの経験を楽しんだ。が、難しかった。残り5分になった時点で15問以上残っていたので、とりあえずマークだけはしておいた。
 2時間はけっこう疲れたが、年内にもう一度挑戦するつもりだ。
 そのうち(before long)TOEFLも受けてみたい。海外で本当に通用するかどうかは、TOEICよりもTOEFLだという。日本の大学入試の英語をTOEFLにすれば、日本人の英会話能力は飛躍的に伸びる、という意見もある。実感してみたい。
 途中で給油もし、明るいうちに帰宅した。
 冷蔵庫(購入13年目)が不調なので、町の電気屋さんに来てもらい、賑やかに相談した結果、同サイズの新モデルの購入を決めた。これも定年退社後の不安定な1年間の特別出費だな。
 続いてすぐ、お墓の掃除に出かけた。思い付いてすぐ行けるのは便利だ。
 次女が早目に帰宅したので、夕食時、冷たい日本酒を飲んだ。食後は、シューアイス。火曜日の夕方、冷蔵庫が届くので、冷蔵食品は減らしておいた方がいい(というのは、酒飲みの言い訳だが、わたしは酒飲みではない)。
 午後11時に就寝した。早(はや)!

7月28日(月)「少しでも心理的負荷を軽くしておきたい・・・の風さん」
 やることがたまってきて、精神的にちょっと危険水域になってきた気がした。
 そこで、やれることを先に片付けて少しでも気を楽にしようと思った。
 月末締め切りの9月の講演のレジュメ作成に取り組んだ。この講演は少し技術的、科学的内容にする必要があるので、事前配布資料を充実させた。
 講演内容もこれまで以上に技術的、科学的にする必要があるが、参考資料が乏しいので、明日、図書館から相互貸借で借りて、資料の絞り込みをしようと思う。
 9月の講演のテーマは、もしかすると執筆につながる可能性もあるので、今回、自分の知識の幅を広げておくことは大いに意味がある。
 現在、12月に留学中の次女を慰問する目的で、ドイツに行こうと計画している。
 2009年以来のドイツで、色々な楽しみがあるが、今回は事前にドイツ語を再勉強して行こうと思っている。そのため、自分の電子辞書をドイツ語バージョンに強化しておく必要がある。つまり、オプションのデータをインストールするのだ。
 データは5年前に用意したものだが、その後、ソフトもハードも世の中は進化している。
 すべて更新するつもりはないが、5年前時点で最強にしておくことはしたい。
 そして、5年前ドイツ語のナビの音声がさっぱり分からなかったので、今回はしっかり聞き取りたい。
 その作業が完了したのは午前零時過ぎだった。
 昨日に続いて、今夜もVOAとFTはパスした。

7月29日(火)「次女の壮行会・・・の風さん」
 銀行から郵便局へ回り、1月におこなった講演記録の校正とZ会からの作品使用許可願いに対する回答書を投函してから、地元の図書館へ行った。やっと自分の本と義父の本など計15冊の寄贈と、相互貸借申請5冊の手続きをしてきた。
 帰宅したら、わたしが外出していたわずかな時間に、冷蔵庫の搬入が終わっていた。
 新冷蔵庫は、従来と同じサイズだが、カラーを変更し、観音開きタイプにし、コンプレッサーはかなり省エネになった。これでワイフの愚痴を聞く回数が激減するだろう。
 書斎で体を休めている間に次女が帰宅したので、3人で海の見えるレストランへ行った。
 1日(金)にドイツ留学に出発する次女の壮行会である。
 どちらかと言うと、親の方が興奮している感じで、本人は留学というより、一人生活をエンジョイするために海外へ飛び出すようである。もしそうだとすると、とんでもない環境と条件の中で一人生活をするわけで、その無謀さは父親譲りかもしれない。
 食事をしている間に、夕暮れの海はすっかり闇の中に溶け込んでしまった。

7月30日(水)「セミナーの講演資料(案)が完成・・・の風さん」
 8月後半のセミナーの講演資料を完成させなければならない。
 少しゆっくり起きて、朝から取り組んだのだが、どうにも体調がスッキリしない。
 留学中に期限がくる運転免許の更新に出かける次女を駅まで送り、遅い昼食のインスタントラーメンを食べた後、やはり書斎でダウンした。
 今日のシエスタは5時間近くなってしまった。
 夕食後、少し元気が出てきたので、講演資料作りの続きをやった。
 スライド1枚を残して、だいたいの構成ができたので、一緒にセミナーをやる先輩へメールで送ってアドバイスを求めた。
 日曜から4日連続VOAとFTを聴いていない。

7月31日(木)「次女の出発前夜・・・の風さん」
 連日暑い日が続いているが、今日は愛工大の学生らのデンソー見学をアテンドする日である。
 体調が不安だったので、今日もゆっくり起きて、キャメロンで出発した。
 駐車場から集合場所の駅まで歩いたが、かなり日差しが強かった。
 駅のドトールに寄ってホットコーヒーを飲みながら、iPhoneでメールチェックすると、いくつか重要なメールが届いていたので、早目に返信しておいた。
 今日は私を含めて11名の見学者となった。
 ギャラリーで旧職場の元同僚とバッタリ会った。今日は会社のオープンハウスデーで、奥さんと子供を連れていた。
 バスで工場を往復したが、暑さがこたえる見学会だった。学生らにどれだけの印象を残せただろう。
 駅で別れ、キャメロンでまっすぐ帰宅した私は、講演資料のリファインに取り組んだ。
 次女と3人で自宅で最後の夕食を摂ったが、次女は猛烈なスピードで荷造りをしている。
 私も次女を見習って、午前零時までに講演資料のリファインを終えた。まさか2日間で完成するとは思わなかった。
 貰い物のワールドクロックを持ち出して電池を入れ、ドイツ時間にセットした。
 明日はいよいよ次女が出発する。

2014年8月はここ

気まぐれ日記のトップへ戻る